博水の歴史
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博水の歴史

明治36年11月に佐賀県にて初代 江越末吉・トク(えごしすえきち)夫婦が 江越蒲鉾店を創業いたしました。その後、佐賀の地で順調に業績を伸ばし二代 江越市太郎(いちたろう)・キン夫婦に事業を継承。しかし、戦争に突入してすべてを失い、しかも、二代は、戦死(昭和20年5月)。
何もかも失った中、三代 江越正雪(まさゆき)は、福岡に進出し、戦後の混乱期に四苦八苦しながら妻・照子(てるこ)とともに昭和44年9月に株式会社博水かまぼこを創業いたしました。

 


昭和37年頃に開設された組合竹輪工場の要職に就いていた先代。(左から4番目)ここで修行を積み、博水創業に至る。
昭和45年頃、下関工場見学中の職人さんたち。同業者同士で他県先進地域の勉強を熱心に行っていた


日本の高度成長期と歩調を共に徐々にではありますが発展をしていきましたが、昭和52年に水産業界に大問題を引き起こす「200海里問題」が発生。
遠洋漁業や以西底引き網漁が規制され、豊富な海洋資源が一気にひっ迫する事態でした。

一方で、「冷凍すりみ」が発明・開発され、蒲鉾業界は大変革期を迎えようとしていました。北海道でしか使われていなかった「スケソウダラ」という大型魚を冷凍保存し、何時でも原料使用できるようになる画期的な発明でした。
この冷凍すり身の普及で、原料の安定供給がかなうようになった半面、魚種による繊細な味わいある商品や地域性や季節感などがあるこだわりの商品が少なくなって参りました。

現在では、ほとんどの冷凍すり身は海外(タイ・インド・インドネシアなど)で生産され日本ばかりでなく世界各地で練り製品が生産・販売されています。
先代の江越正雪は、他の誰よりもかまぼこの職人でした。また、自分自身の生い立ちを考え、蒲鉾の原点を考えました。


蒲鉾製造中の先代社長


「蒲鉾は料理。蒲鉾は日本の伝統食文化。本当に美味しいものは、始め(原料・鮮魚)から、目利きした原料でなければだめだ。」周りの同業者が次々に冷凍すり身を原料とする大量生産に舵を切っていく中、かたくなに「玄界灘産の鮮魚 えそ」にこだわり、本当に美味しい練り製品を造る事に命をかけて参りました。


「鮮魚から蒲鉾を造れる」当たり前の事ですが、日本中でこの事をかたくなに守っている業者は、本当に少なくなって参りました。
おかげさまで、今では、かたくなに守ってきた原料へのこだわりが評価され、天皇皇后両陛下に弊社製造の「博多玄海漁師天」を献上させて戴くという栄誉や 各種表彰を受賞させて戴けるようになりました。

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